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文章読本:三島由紀夫


三島由紀夫について

 割腹自殺をしたことで有名な三島由紀夫ですが、それ以外のことを知っている人は少ないのではないでしょうか。僕自身それ以外知らなかったですし、未だにどうしてそのような最期だったのかも知りません。今後三島さんの本を読んでいく中で少しでもわかっていけたらいいと思います。

 三島由紀夫さんの本は2冊しか読んだことがありませんが、そのうちの一冊、「文章読本」について語っていきたいと思います。

文章読本

内容は、文章や文体などについての三島氏の視点から、考察または批評をするというものでした。川端康成をはじめ、森鴎外、梶井基次郎など有名な作家の文章がちょくちょく登場するので、そんな作家が好きな人はまた新たな見方が出来るようになるのではないかと思います。

 本の中に心に引っかかった一節がありまして、簡単に言ってしまうと、「最近の文章は翻訳調だ」ということでした。読んだ当時はどういうことか分かりませんでしたが、鈴木大拙など、漢文や古文の影響を受けている人の文章を見てからは腑に落ちました。

 それからは漢文などの反語表現や、漢文由来の言葉が現在の文章からは姿を消している、ということに目が行くようになりました。そうやって見てみると、20世紀前半に活躍していた作家の文章と比べると、現在の文章はどうも淡々としているように感じます。外国語を翻訳したような文章、という意味で翻訳調という言葉は使われていますが、日本人が書いた文章でさえ翻訳調になっている、ということを三島由紀夫は昔言っていたわけです。

 おそらく現代の文章というのはその頃と比べて一段と語句が減り、表現が減っていると思います。
 こういった現状を見ると、どうしてもジョージオーウェルの「1984年」を思い出します。これは有名なSF小説ですが、言葉の表現を減らしていくことで民衆の思考の幅を減らしていく、という設定があります。例えば、悪い、良い、素晴らしい、というような言葉は、良くない、良い、超良い、で代用できるのだから言葉を減らしてこう、という政策が実地されているわけです。

 僕は陰謀論者ではないので、別に人々の語句が減っていることが何者かの仕業とはいいませんが、思考の幅を狭めていることになっているのではないかな、とは思います。

 現在の文章は大変読みやすいと思います。その気になれば30分もかからず読んでしまえるものも多いでしょう。ハウトゥ本や自己啓発本は文章よりも内容に力を入れているため、そうなるのは仕方ありませんが、小説もストーリーや設定の方にばかり傾いて、文体や文章の方に気を払っていないように感じます。最近の小説というのをあまり読まないので断言は出来ませんが。

 いつだったかニュースでライトノベルの表現があまりにひどいということで、ネットで無料で読めたため見てみましたが、非常に頭でっかちな文章だな、と感じました。
 文章から受ける印象、というのはかなり大きいと思います。これは人によっては変わるのでなんとも言えませんが、初めて大江健三郎の本を読んだ時、あまりにリアルな触感というか生々しさに驚いた記憶があります。

 表現力も文章の一つです。作家の目が良い、ということも文章である程度伝わります。
人の語彙が減った理由として、頭でっかちになったということがあげられないでしょうか?物を良く見なくなり、より抽象的な世界で物事が進行するようになったためかもしれません。夕暮れを表す言葉なんてたくさんありますが、現在生きていく上で「夕方」さえ覚えておけば良い、というのもあるでしょうが、昔の人はやはりどこか区別して使っていたのではないかと思います。

 この本を読んで、初めて認識できた世界がありました。言われなきゃ意識もしない地の文の見方が変わる本だと思います。また、作家の名前がたくさん出てくるので、ここを出発点として色々な人の作品を読んでいけたらいいんじゃないかと思います。

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