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タイタス・アンドロニカス:シェイクスピア

ウィリアム・シェイクスピア

 劇作家ウィリアム・シェイクスピアは、16世紀頃の人物です。代表作として、「ハムレット」、「マクベス」、「ロミオとジュリエット」などがあります。いずれかの名前は聞いたことがあるのではないのでしょうか。卓越した観察眼を持ち、綿密に心理を描いたと言われています。

タイタス・アンドロニカス

シェイクスピアの初期の作品だと言われるこの「タイタス・アンドロニカス」。シェイクスピアの作品はいくつか読んでいますが、面白いとは思うものの、なぜそんなに称賛されるか未だによく分かっていません。今後僕がその良さが分かる日が来ることを信じています。

 シェイクスピアの著作物というのは、読んだ人なら分かると思いますが、戯曲と呼ばれる種類のものです。要は劇の台本のようなもので、地の文がなく、基本的に登場人物の台詞のみで物語が進行していきます。そのため、説明口調であったり芝居口調であったり、台詞のリアリティで言えばあまりないのですが、劇と小説の中間という風に見れば、すんなりと受け入れられると思います。

 そういう意味で言えば、ライトノベルの一部は、小説よりも戯曲に近いのではないかと思います。ライトノベルを読んだことがほとんどないので少し偏見が入るかもしれませんが、登場人物の口調がやたら特徴的であったり、地の文が主人公の思考が中心になっていたりなど台詞のみでも成り立つものがあります。
 基本的に観客というか読み手の想像力に任せて物語を進めていく、という点でも似ているのではないかと思います。

 タイタス・アンドロニカスは、シェイクスピア作品の中でも最も残虐だと言われていますが、実際登場人物たちは、憎い相手をどれだけ惨い目に合わせるか、ということで動いています。犯され、手と舌を切り取られる人をはじめ、基本的に酷い目に合う人ばかりです。この作品は実はシェイクスピアのものではないという話も聞きますが、作者が誰であれ、読んでいて烈しさを感じました。この烈しさというのは、作者自身の烈しさですが、一般的なスプラッタものと比べるとまた違った烈しさであると思います。

 おそらくどんな著作物も、作者の色というのが出てしまいます。作者の目を通して世界が作られていることからそういうことが起こってしまうと思いますが、残虐さだけを求めた作品には、作者の意図というのがはっきり出てしまうことが多いように思います。というのも、残酷さを追及するあまり、作品を飛び出してしまうことがあるからです。あざとさ、とでも言えば良いのでしょうか、作品外で糸を引くものの存在が感じられてしまうと、読者は目が覚めたように冷めてしまいます。

 そんな中、この作品に関しては作品内で完結している、といいますか、登場人物によって引き起こされている、そういうように思います。世界は作者のものではなく、登場人物のものであると、そのように思います。そう言う意味での烈しさです。登場人物の中に潜む作者の烈しさは、登場人物自身の激しい感情へと昇華しているように思いました。

 他のシェイクスピア作品と比べると幾分シンプルではないでしょうか。大半の人物が復讐のためだけに動いているためです。物語のキーマンというか、引っ掻き回す役は他の作品にも出てきますが、この作品ではそれがエアロンという男です。潔いほどに非情で、どこか道化じみたものも感じるこの男が、きっかけではないですが、火に油を注いでいきます。

 初っ端から炎上していますが、最後はまさに大炎上で、むしろ清々しい気持ちさえ起こります。後味の悪さももちろんありますが。

 あまり話題にはあがりませんが、タイタス・アンドロニカス、読んでみても良いと思います。グロイ、えぐいだけの作品はありますが、それらとはまた違った烈しさを感じます。惨いのが好きな方、救いが無いのが好きな方、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

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