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伝え方が9割:佐々木圭一 感想
コピーライターの佐々木圭一さんの「伝え方が9割」。よく本屋で見かけることが多かったように思いますが、なんとも勉強になる内容でした。相手を説得する、伝え方の技術、これは説得のための技術の面もあるので、もっと詳しい本もありますが、個人的に面白かったのは、言葉を強くする、という部分でした。
実際にどうやって強くするかについては、他のサイトなどを見るか、購入するなどして学んでください。今回は、そこから派生して、「名言っぽい言葉を作る」ということをやってみたいと思います。
実際にそういう言葉を作る中で、「伝え方が9割」に登場した方法も使ってみようと思いますが、それ以外にも色々考えたいと思います。流石に名言の作り方は載っていないので、そこは僕が考えます。名言とは考えて出すものではない気がしますが、せっかく「伝え方が9割」を読んだので、やらせてください。
心理学的にはハロー効果とも呼べるかもしれません。功績や権威につられて、他のものも価値があると思いこんでしまう現象ですが、短い文章から人々はどれだけのことを読み取るのでしょうか。
詩というのは、目が良くないと出来ないことだと思います。つまり、モノを良く観る眼を持っていなければいけません。そのモノ 、というのは者、物、そして概念でもあります。さらにそれを消化して表現するだけの力がなければならない、というとんでもないことが詩を作る、ということであると思います。
詩では、韻を踏む、ということもあるように、五感で受け止めた事象を文字にしますが、読者は、その五感+語感や語呂といったものでも詩を楽しむことになります。
昔からポエマーと呼ばれるような方がいらっしゃいますが、おそらく情緒を感じる、ということは出来ているのだと思いますが、それを表現する力と、自分を抑えることが出来ないのでしょう。自己を前面に出すようなものも存在しますが、人間を知りたいわけではなく、詩を知りたい、というのが僕の気持ちなので、出来れば我を出さないように努めて頂きたいと思います。
実際にどうやって強くするかについては、他のサイトなどを見るか、購入するなどして学んでください。今回は、そこから派生して、「名言っぽい言葉を作る」ということをやってみたいと思います。
実際にそういう言葉を作る中で、「伝え方が9割」に登場した方法も使ってみようと思いますが、それ以外にも色々考えたいと思います。流石に名言の作り方は載っていないので、そこは僕が考えます。名言とは考えて出すものではない気がしますが、せっかく「伝え方が9割」を読んだので、やらせてください。
名言を言いたい
ということで、名言を考えていきたいと思いますが、名言について、いくつかジャンル分けをしたいと思います。例えば人生を何かに例える、当たり前のようで気付かなかったことを言う、真理のようなことを言う、パッと思い付くのはこれくらいでしょうか。
もちろん、何か有名な作品の中のセリフということも考えられるでしょうが、そういう言葉は、登場人物の人格ありきのものになるので、ここでは考えません。同じように、スポーツ選手などが、人生を自身のスポーツに例えたりしますが、それもその選手の努力というものが背景にあるので、純粋に内容だけで考えてみようと思います。
人生の名言
人生を何かに例える、もしくは人生の真理について言えばよい、ということになりますが、抽象度は高いよりも低い方が、つまり具体的である方が名言らしくなると思うので、そこに注意して作ります。
問題は真理とはなんぞや、という話になるのですが、スコトーマを外す、という意味で、否定のニュアンス、もしくは弁証法的論理展開で考えていきます。
人生は死を楽しむためにある名言っぽくなりました。解説を入れると名言度が下がるので、解説はしません。 また、目的論を用いて何か作ってみます。
雨はただ降るのではなく、人間のために降る仏教でいう諸行無常なども、具体的にしてしまえばきっと名言になるでしょう。その際使う具体的事象は、せっかくなので情緒あふれるものにします。
庭先のあの桜は、二度と咲くことはないここまで考えたところで、何の考えも込めず、当たり前のことを名言化することを考えてみましょう。
止まない雨などないこれもおそらく状況によっては名言でしょう。事象を雨に例える、ということで名言としての地位を確立しています。しかし、本当に今適当に考えたことでも名言になるのでしょうか。
服は汚れたら洗濯をすればよい少しかっこ悪いので、「伝え方が9割」にあるいくつかの方法を取り入れます。
服が汚れていたらそのままにしていてはいけない。洗わなくては。もう少しシンプルにした方がよいかもしれませんが、深読みすればどことなく意味があるように思えてきます。もしこれを言った人物が素晴らしい功績の持ち主であれば、人々は意味のない言葉の裏に真理を見出すことでしょう。
心理学的にはハロー効果とも呼べるかもしれません。功績や権威につられて、他のものも価値があると思いこんでしまう現象ですが、短い文章から人々はどれだけのことを読み取るのでしょうか。
詩について
詩でなくとも、短歌、俳句などといったものは、不思議なものです。膨大な背景がありながら、それをそぎ落として文章に落とし込み、読んだ人の中で再び咲くというデジタルでは決して実現できない現象が起きているわけです。赤信号、皆で渡れば怖くないといったのはビートたけしさんだったでしょうか。この文章が皮肉であると気付くためには、集団心理といったものを経験の中から学び取っていなければなりません。皮肉であるから笑うというよりは、自分にも当てはまるから笑う、というのが正しいと思いますが、短い文章を皮肉だと見抜き、笑いへと昇華させることが出来るということは、まだAIには出来ないと信じています。
詩というのは、目が良くないと出来ないことだと思います。つまり、モノを良く観る眼を持っていなければいけません。そのモノ 、というのは者、物、そして概念でもあります。さらにそれを消化して表現するだけの力がなければならない、というとんでもないことが詩を作る、ということであると思います。
詩では、韻を踏む、ということもあるように、五感で受け止めた事象を文字にしますが、読者は、その五感+語感や語呂といったものでも詩を楽しむことになります。
昔からポエマーと呼ばれるような方がいらっしゃいますが、おそらく情緒を感じる、ということは出来ているのだと思いますが、それを表現する力と、自分を抑えることが出来ないのでしょう。自己を前面に出すようなものも存在しますが、人間を知りたいわけではなく、詩を知りたい、というのが僕の気持ちなので、出来れば我を出さないように努めて頂きたいと思います。
まとめ
名言、というのは非常に短い言葉でありながら、人の心を惹き付けるものです。名言の文法、というものがあるかはしりませんが、その言葉の背景に横たわっている何かが必要になってきます。それは個人の努力であったり、長年の経験であったり、思想であるかもしれません。
言葉自体の力を強める、ということは、「伝え方が9割」を読めばある程度身につきますし、訓練を重ねていけばより磨かれていくと思います。しかし、観察眼を鍛える、ということや、さらに見たものに対して「いいなぁ」と思うようなことは、一朝一夕では身につきません。
言葉自体の美しさ、語感の良さ、語呂の良さ、文字への形への愛着などは、実際に文章を作っていかなければ分からないでしょう。「伝え方が9割」を読んで、仕事にいかす、という人が大変多いとは思いますが、一歩踏み込んで、文章を作る楽しさに触れて頂きたいと思います。
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