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少年たちの終わらない夜:鷺沢萠 感想
感想
四本の短編からなる、「少年たちの終わらない夜」ですが、2回ほど読みました。高校生から二十歳前の大人と子供の間の少年少女たちの物語ということで、「ライ麦畑で捕まえて」に通じる部分がありました。「ライ麦畑で捕まえて」がアメリカを舞台にしたものであることもあって、日本人には少し馴染みのない文化や、感情表現などもありましたが、「少年たちの終わらない夜」は、日本人がまだ取っ付き易いものではないかと思いました。とはいえ、未成年飲酒などが当たり前のこととして描かれており、「一般常識」の範囲内から少しはみ出た若者たちに焦点が当てられています。そこには、真面目に努力して高い目標を持つような、夢のある子どもの姿は無く、大人でもなく子供でもなく、また、大人でも子供でもある不安定な青年の姿があります。
特に目標もなければ、失うものも特にあるように思えず、小さな集団の輪の中で完結する少年たちの、やるせなさ、と終わりのない青春は、夢心地ながらどこか絶望感を感じさせます。夜明け前とも日没直後ともとれる表紙は、この4本の世界観を表しているように思います。
大人と子供、どちらでもありながらどちらでもないという、誰にでも訪れるであろう「青春」。変化しなければならない、という無意識的自覚が、子供的純粋さにどこか危うさをもたらすのではないかと思いました。
この小説においては、主人公が何かを成し遂げて成長する、ということはあまりありませんでした。曖昧な存在のまま終わらない夜を彷徨う主人公たちは、以前の僕たち自身か、もしくは現在の僕たちであるかもしれません。
青春とは
元々青春は春を表す言葉で、そこから転じて春に生命が芽吹くように魂の力強さを持ち、また未熟さを持つ時代、年代を表すようになったようです。思春期と少し意味は違いますが、時期としてはほぼ同じであること、切っても切れない関係であることから、そこを踏まえて考えていこうかと思います。
子供時代、特に性差を気にせず(性の対象として異性をみない)、また子供として親に全幅の信頼を寄せ、甘え放題の時期ですが、体の発達など、思春期において著しい変化が訪れます。ここで初めて自身の将来であるとか、自身の境遇への不満などに目が行くようになる子供も多いでしょう。それまで気にしていなかった体形や顔のことを気にし始め、「他者から見た自分」を意識するようになります。
社会性の獲得と言ってもいいかもしれません。元々子供同士でも集団を作るなど、原始的な社会性は持っていますが、より複雑な社会性の獲得がこの時期に始まるのだと思います。そうした中で、自身や他者への不満、将来への不安など、不安定になる要素はたくさん転がっています。
これは思春期の中でも初期の方ではないでしょうか。大人になる、ということの一つは現実を見るということでもあります。上で述べたような不満や不安にどこかで折り合いをつけたり、あきらめたりしなければいけないタイミングというのがやってきます。そうした不安定さの中では、時に自暴自棄な行動に走ることもあるでしょうし、自己評価が下がり切ってしまうこともあります。
以上は思春期に起きうる事柄ではありますが、「青春」という言葉には皆さんプラスのイメージを持っているのではないかと思います。「青春」を良いものだと思う人間はそれを通り過ぎた人間だけです。大局的に見れば「青春」真っ只中にある人もそういうことを思うかもしれませんが、局所的な「青春」に対してそう感じているのあって、現在その人が経験している「青春」に対してではないと思います。難しく言いましたが、高校時代が青春であったと大学生が思うかもしれませんが、大学時代も立派な青春である、ということです。
今自分が青春であるかどうかは、後になってわかります。魂の輝き、と言えばいいでしょうか、生命の力強さを失わず、また青臭さを残している限りはいつの時代であってもそれは「青春」であると思います。世の中に精神的に熟した人間はそんなにいないと思いますので、やる気や人生の目標といったものを失わない限りは、「青春」と言ってよいと思います。
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