スキップしてメイン コンテンツに移動

移転しました

ことばと思考:今井むつみ

少し前のSF映画「メッセージ」。ある日異星人の駆る謎の宇宙船が現れ、言語学者の主人公は、その異星人からの「メッセージ」を読み解いていく、という話でした。ネタばれになるのでこれ以上は言いませんが、その映画の中で、サピア=ウォーフの仮説という言葉が出てきました。

 簡単に言えば、言語は世界観の形成に影響を与えるのではないか、という説です。言語が異なれば、世界の認識の仕方が変わるのではないか、というように言い換えることも出来るでしょう。

感想

これがきっかけでそれに関する本を探したところ、この「ことばと思考」という本が見つかりました。内容としては、言語が世界を切り分けるということ、では言語によって認識は変わるかどうかということ、そして子どもの発達や思考に関してはどうかということを考察しています。

 言語が世界を切り分けるということについてですが、日本人は進め、という意味の信号を青信号と呼びますが、言語圏によっては緑信号と呼ぶそうです。色は連続して変化していきますから、区別するにはどこかに区切りを入れなければなりません。それが言語によっては違う、ということが例として挙げられています。

 色だけではなく、「歩く」、「走る」という動詞も、英語であれば「walk」、「jog」、「run」、「sprint」、「dash」というように、区切り方が違います。日本人も区別してはいますが、「早く」、「遅く」などの副詞を用いてしか表しません。

 このように、言語によって世界の切り取り方が違いますが、では言語によって認識そのものに影響はあるのか、ということを著者は考察しています。

 実際に目で見る世界が違うかどうかは分かりませんが、言葉が記憶に強く働きかけることはあるようです。言語の発達は計り知れない恩恵をもたらしてくれましたが、一方で言葉に縛られる、なんてこともあるかもしれません。言葉に負けないだけの知性を身につけていければとつくづく思います。

   この本ではあまり触れられていませんでしたが、認識、思考だけでなく国民性のようなものも言語に影響されているのではないかと思います。ぜひ誰か調べてくれないでしょうか。

言葉と論理

言葉が世界の認識に影響する、特に記憶に対して強く作用する、ということがわかりましたが、言葉は論理思考においても大きな影響を持ちます。言葉によって、過去の知識を使えるようにもなり、整理して、主観的な「思考」というものを客観的に見れるようにもなりました。

 国語と算数の成績の間には相関関係があると言いますが、論理と言語は切っても切れない関係にあるように思います。「言語」の獲得は道具の発明よりも、人類にとって大きな恩恵であったのではないでしょうか。

 一方で、論理を超越しようとする禅のような思想があったりするなど、抽象的な思考が出来るようになった故の苦しみも言語から生まれたのかもしれません。

コメント

人気の投稿