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狂気とは

前置き

 狂気とはなんであるかについて考えますが、ここでは病気としての、所謂気が狂った状態についてではなく、一般的に使われる(例えば芸術の分野など)、もしくは比較的軽い意味で使われる「狂気」について考えていきたいと思います。また、専門知識の定義から大きく外れる場合もありますが、そこについてはご了承ください。

 「狂気」という言葉、狂気を感じる瞬間、という外部から見たときの「狂気」についてのあくまでも考察であるので、正しい知識を求める方に関しては、無意味なものになるかもしれません。

狂気とは

狂気を感じる瞬間

 上でも少し言いましたが、今回考えるのは、そういう病気の方のことではなく、日々生活する中で感じる「狂気」、映画などで感じる狂気についてです。映画を例にすると、狂気を含む、狂気を感じさせる映画というのはどんなものがあるでしょう。いくつか具体例を挙げると、「羊たちの沈黙」のレクター博士、「セブン」の犯人、「esーエスー」での監獄実験、「時計じかけのオレンジ」のアレックス、「悪魔のいけにえ」の殺人一家、「ミスト」での狂信者などでしょうか。

 こうしてみると、「狂気」というのは個人的なものと、社会的なものの2種類に大別出来るようです。本質的には違いがないのかもしれませんが、極論として、全ての人が狂気に駆られた行動をとれば、それが正常になってしまうことを思うと、結局「狂気」も程度の問題ということになります。逆に言えば自分が正気であると思いこむことこそが狂気なのかもしれませんが。

 上の例では、やはり常軌を逸した行動をとる人物が目立ちます。普通ではない行動ですが、それに加えて理解できないことが狂気の最大の要因に思います。「羊たちの沈黙」のレクター博士は人の肉を食べる殺人鬼ですが、もし彼がそのような風習のある文化圏出身だとしたらどうでしょう。納得は出来ませんが、説明がつきますし、理解できます。また、本当に食べるものが無く、仕方なく人の肉を食べるしかなかった、という状況が続いていたと言われれば、まだ理解は出来ます。

 このように「狂気」を構成する要素の一つは「理解が出来ないこと」であると思いますが、では恐怖と狂気は同じなのかどうかという問題が浮上します。理解できないから人は恐怖を感じると言いますが、狂気とはどこが違うのでしょうか。それは複雑さにあるように思います。狂気に比べて恐怖という感情、状態は幾分原始的です。「闘争か逃走」のように、普段より本能に近い行動、思考をするようになる「恐怖」という状態と、「狂気」という状態は違います。「狂気」を感じるには、一度理解しようとする試み(意識無意識問わず)が必要になります。考える間もないままに殺人鬼が現れたとしても、狂気よりも先に恐怖、逃げなければいけないという本能的行動に支配されます。考える余裕、時間がなければ狂気は訪れません。そのように考えると、「狂気」と「恐怖」は別物ですが、「狂気」は「冷静さ」と「恐怖」を兼ね備えた状態である、と言えそうです。

 これについては一概に言えませんが、所謂発狂した人物というのは、自分の思想に固執している、もしくは信念を持っているという言い方をしてもいいかもしれませんが、そうしたものを持っています。もちろんちぐはぐなことを言うような人もいますが、今回はそちらについては考えません。狂信者という言葉もあるように、妄信することも(場合によっては)狂気を構成する要素になり得ます。

まとめ

 まとめると、一般的でないもののうち、理解が出来ないもので、そこに恐怖を覚えるようなものに、我々は狂気を感じるのではないでしょうか。

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