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会話について
会話の役割
元々言葉が無かった時代であっても、個体間の意思疏通はありました。威嚇や求愛行動など、生死に関わるような、重要な部分ではありましたが、最初の「会話」の役割は自分の意思を伝える、ということでした。
類人猿の時代からヒトは群れで生活していましたから、集団として円滑に事が運ぶようにするのに、いくつかのルール決め、例えば指を指した方を見ろ、などの単純な規則を定めました。個々ではなく集団で生きる生物にとって「会話」の役割はあまり変わっていないように思います。しかし、言葉が道具として使われるようになってきたという進歩があります。何かしらの目標があって、それを達成するために、仲間に意思を伝える。そうした際に使われることが大半だったと思います。
しかしいつしか「会話」、つまり人を相手にして言葉を発する、という行為は 、「自分」を表現したり、それ自体が力を持つようになりました。
そうした変化というのは、集団よりも個人と言う意識が強まって来たからだと考えられます。集団としての利益より、個人の利益を優先するようになってきたからでしょう。それは社会の発展とともに育ってきました。不思議なことですが、社会が大きく複雑であるほど、個人と言うものを意識しだすように思います。特に現代においては、非常に社会の形は複雑で、物理的な距離をものともせず、データの世界にも社会が存在しています。
集団としての一体感は、集団が原始的であればあるほど機能するように思います。複雑な社会においては、集団の中枢から個人は遠ざけられます。集団に加わっているという意識が薄れれば、孤独感が増しますから、自分が一人であること、個人についてを意識するようになるのだと思います。
そうした変化というのは、集団よりも個人と言う意識が強まって来たからだと考えられます。集団としての利益より、個人の利益を優先するようになってきたからでしょう。それは社会の発展とともに育ってきました。不思議なことですが、社会が大きく複雑であるほど、個人と言うものを意識しだすように思います。特に現代においては、非常に社会の形は複雑で、物理的な距離をものともせず、データの世界にも社会が存在しています。
集団としての一体感は、集団が原始的であればあるほど機能するように思います。複雑な社会においては、集団の中枢から個人は遠ざけられます。集団に加わっているという意識が薄れれば、孤独感が増しますから、自分が一人であること、個人についてを意識するようになるのだと思います。
会話の目的
会話の目的ですが、先の話に少し繋がります。集団としての目標を達成するための会話は、個人のための会話になりました。もちろん集団を円滑に運営する上でも欠かせませんが、個人にとっての目的は、自分の幸せや欲望を満たすことです。
集団としての目標を見据える人、個人の目標を見据える人の差はコミュニケーション、会話に現れるのだと思います。前者は、相手の話を聞くことも含みますし、我を出すことも必要に応じてです。一方後者は、個人の、例えば自己顕示欲を満たすことなどを一番とするため、結果的に集団で生きていくことが苦しくなってきます。
会話の目的というのは、おおよそ上の二つに分けられると思いますが、集団に帰属すること、集団の役に立つことは、生物としての喜びがあるのではないかと思います。そう考えると、目標を集団としてのもので考えると良さそうです。
ここまで考えると、個人の欲望などを目標とすることのメリットは多くないように思われます。というのも、その欲望を満たしたとしても、欲望が生まれる度にそれを消化しなければなりません。それについて周りから疎まれるということを差し引いても、終わりのない欲望の消化は考えるだけで嫌になるでしょう。
集団と言う言葉は、最終的に全人類、そして全世界まで意味を広げられれば良いと思いますが、逆に二人の人間も集団と見なすことも出来ます。自分と相手という集団として目標を定めることが、最終的に個人の幸福に繋がるのだと思います。
ここまで考えると、個人の欲望などを目標とすることのメリットは多くないように思われます。というのも、その欲望を満たしたとしても、欲望が生まれる度にそれを消化しなければなりません。それについて周りから疎まれるということを差し引いても、終わりのない欲望の消化は考えるだけで嫌になるでしょう。
集団と言う言葉は、最終的に全人類、そして全世界まで意味を広げられれば良いと思いますが、逆に二人の人間も集団と見なすことも出来ます。自分と相手という集団として目標を定めることが、最終的に個人の幸福に繋がるのだと思います。
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