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妬みについて

妬みとは

 最近ラッセルの幸福論を読んでいたのですが、その中に妬みについてありました。幸福を妨げるもののひとつとして、妬みというのが挙げられていたのですが、僕の認識と少しばかり違うところがあったので、それについて考えたいと思います。

 僕が妬みに対してどのような考えを持っていたかというと、本能に近いもの、原始的な感情の一つであるというものでした。生きていく上でかなり大きい感情であることや、人間関係を上手くやっていこうとする際に邪魔になるものなので、新しいものではなく、古くからあるものだと思っていました。理由としては、幼い子供にもそうした羨ましいという感情が見られることも挙げられます。他人の持っているおもちゃや、兄弟の受ける愛情の差など、幼い頃から持っている感情なので、原始的なもの、動物的なものだと思っていたわけです。

 しかし幸福論の中でラッセルは、動物などには見られない人間特有の感情であると述べています。言われてみると、動物的な感情であるならば、妬みを持つ動物が数多く存在しているはずです。原始的な妬みは持っているでしょう。単純なこと、例えば縄張りや雌に関してなどについては、羨ましいという感情が沸き起こってもおかしくありませんが、人間のように際限なく妬むことはないでしょう。例えば、年収が1000万の人を妬む人がいて、2000万の人を妬む人がいるでしょう。上には上がいるということを知っているが為に、妬みは終わることが無くなります。

 ラッセルは、妬みが生じるのは、人がものごとをその関係において見ているからだと言います。確かにその通りです。物事それ自体を離れ、関係の中でしかものを見なくなると、その物の価値というのは、関係の中でしか測れなくなります。数が少ないという付随する情報、その物以外との関係は、すでにその物を離れています。

 以前物事の本質は関係にあるのではないか、と考えましたが、関係と言う観点から見ると、その物ではなくなる、ということから、今一「空」や本質の解釈が間違っていたのかもしれません。

妬むことを無くす

 人を妬むこと、これは基本的に自分にないものに関して起こりますから、それを解消するために行動します。相手が自分より上である、という認識を無くすために、自分を上げるか相手を下げるか、もしくは土俵から降りるかを選ぶことになります。自分を上げられる人、高められる人はまだ幸せでしょう。ただ限界があります。相手を下げる人、これは世の中の大半が当てはまるのではないでしょうか。有名人のスキャンダルや噂話が未だに無くならないのは、相手を落とすことで自分を守ろうとしているからではないかと思います。

 土俵を降りるということですが、例えば称賛する、尊敬するという感情に昇華させるだとか、もしくは違う道で勝負するなど、対象を敵としてみないことが重要です。

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