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破滅願望について
破滅願望とは
破滅願望はその名の通り、破滅を望むことです。破滅は人生そのものを捨て去るようなことを指します。それは身体的なものであったり、精神的なものであったり、経済的なものであったり、社会的なものであったりしますが、それらを失うことを見越して行動すること、それが破滅への道であると思います。
基本的に人は自己を守るように、そして家族や仲間、集団を守るように行動します。それは社会を成り立たせるような本能、生物として生きていく上での本能であると思いますが、破滅願望と言うのはそれに反します。何故こんな願望を抱く人がいるのか、ということを今回は考えたいと思います。
破滅願望について、次の二つが言えます。それは、破滅そのものが目的であるか、またはそうでないかということです。破滅そのものが目的ということになると、何故か、という疑問が出てくると思いますが、それが何かから逃れたいという思いがあるのであれば、逃れるという目的のために、破滅という手段をとることになるため、この場合は破滅そのものが目的とはいえません。破滅そのものが目的となる場合は現時点でよく分からないので、まずは破滅そのものが目的でない場合を考えましょう。
何か目的があり、そのために破滅するという場合ですが、目的であれ手段であれ、これは自身の生や可能性を自ら捨てる行為です。その目的とは、何かから逃げることかもしれませんし、復讐のためかもしれません。何かに疲れてしまったのかもしれませんし、不治の病なのかもしれません。もうどうにでもなれという投げやりな態度が、破滅願望には含まれているように思います。一方で、何か破滅ということには人を惹き付ける何かがあるのではないでしょうか。幸せの最中に訪れる不幸を想像すること、悲劇の主人公に憧れる少年少女など、幸せを再認識する機能、破滅という保身を考えない姿勢などが破滅ということを考えてしまうことの要因かもしれません。破滅そのものが目的というのはそうした場合ではないでしょうか。
青春、若さという破滅
若い頃の行動と言うのは、下手をすれば取り返しのつかないようなことがあります。それは暴力であったり、自身の健康であったりと、大人になる、社会の一員になるという大きなプレッシャーから逃れる手段として破滅が用いられることがあります。それは過度の飲酒であったり、他者への暴力であったり、自分がどうなっても良いという、長期的な目的を見失った、もしくは長期的にものを見られないこの時期特有の破滅。何者かになりたがっていながら、何者でもないことを認めなければならないことが、何者に成りうる手段が破滅への道ではないでしょうか。
長期的な目標というのは、自制心をもたらします。将来的な健康を考えて酒を飲まない、いつか役に立つかもしれないからと人間関係を築く、こういったことは若いうちには殆ど見られないものです。成長と共に視野が広がり、過去に、そして未来に縛られるようになります。不確定な未来を考えると、確実に来る破滅の方が安心なのかもしれません。その日その日を生きていくことが若いうちの特徴ですが、小学生などには破滅願望を抱くものは少ないでしょう。ある程度視野が広がって、今まで目を向けなかった世界の到来を予期して、初めて破滅願望へのきっかけが生まれるのではないでしょうか。
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