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読む価値のある本
読む価値がある本とは?
読む価値がある本と銘打ちましたが、結論としては人によって違う、どんな本に価値を見出すか分からない、ということになってしまうと思います。ですので、そういったことは認めたうえで、どういった本に価値があるのかを改めて考えてみたいと思います。
まずは、本の価値ということですが、これは本の内容、文章、作者、装飾など大きく分けてこの4つに分けられるのではないでしょうか。ここでは、内容について考えたいと思います。
昨今よく売られている自己啓発本の多くは、内容に重点を置いたものです。ですが良く見られる特徴として、内容に対してページ数が多い、ということでしょうか。文章の構造は非常に単純で簡潔にまとめられています。個人の中で芽吹いた思想ではありますが、無駄な枝をそぎ落とされて、不自然な形で世に出されています。確かに無駄をなくすのは大事なことですが、無機質な印象を受けます。それを解消するために、根拠となるデータや、個人の体験などが良く書かれています。しかしそれらはセオリー通りといいいますか、読み手側にそうした思想の種をまくのに十分な栄養を持っているように思えません。一般的な文章の構成として良く言われるのが、主題の表示、詳しい内容、そして具体的なストーリー、といったところでしょうか。しかし、具体的なストーリーにしてもそうですが、そうした思想の中に血が通っているように思えません。
そうした無機質な文章になっている原因の一つとして、分かりやすさを求めた文章である、ということが挙げられます。文章を書く上で、分かりやすくすること、これは一見すると読み手に優しいことだと思われますが、読み手が努力せずとも読み解くことが出来る、というデメリットとともとれる一面を持っています。読み手が理解する姿勢をとることで、読み手側にその本の思想が根を張っていきます。難解な文章であれば良い、と言っているわけでもなく、分かりやすいものはダメだと言っているわけでもありません。内容を伸ばすために仕方なく分かりやすくしているような本や、説明するまでもないようなことまで説明しているような文章はあまり意味がないと言っているだけです。
思想が乏しく見えるもう一つの原因は、自分の中で芽生えたその思想について、自分の中での育成が足りない、掘り下げが足りないことだと思います。育成といいましたが、自分の中で芽生えた思想、考えというのは、自分が今まで経験してきたこと、知識を栄養にして確固たるものになっていきますが、さらに経験を積んでいくことでさらに強固になります。しかし、具体的事例ばかり増やしていても成長はあまり見込めません。一度地面を掘り起こして根がどれほどまで張っているか確認したほうが良いです。また、そうした一つの思想、例えるなら一本の木だけではいけません。多くの木々に囲まれて、豊かな森を形成するように、様々な知識や教養を身に着けることで、自分の芯となる思想、信念が見つかると思います。
良く言われることではありますが、本を書くために考えれたことというのは見て分かります。内容の乏しさが浮き彫りになってしまいます。どれだけ根拠や経験を付け加えたところで、その思想への自分自身での理解が不十分であれば上辺だけのものになります。ものを書く頃にはすでに書くことが決まっている、というのが理想だと思います。
まとめ
上で言ったことを踏まえると、結局いろいろな本を読め、ということになりますが、自分自身で考えることを放棄した読書に意味はありません。ですのでまずは、ショウパンハウエルの「読書について」をおすすめします。また、簡単な入門書で良いので、哲学史についても学ぶと良いと思います。昔の思想家の本であれば、現在の人が書かれた自己啓発本をまとめて何冊も読むよりも価値はあります。自分で読み解かなければなりません。それは慣れるまでは苦難の道ですし、慣れていても知らぬ分野であれば思考は止まります。理解を拒みます。そうした中で頭を動かしていくことに意味があるのではないかと思います。
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