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経験とは

経験と知識

 経験とは、大雑把に言ってしまうと記憶である、と言えそうです。もしくは、経験している、という言葉があるように、現在体験していることでもありそうです。絶対に無いと言い切れるのは、未来ではないということでしょうか。経験という言葉は未来に体験するであろう事象ではありません。

 過去の記憶を経験とするならば、疑問が浮かびます。それはエピソードのみが経験なのか、知識も経験であるのか、ということです。エピソードに関して、つまり自分が体験したことは経験だと言えそうですが、例えば数学などの知識はどうでしょう。

 知識は、定理などの一般化された所謂真理や、具体的な事柄に付随する局所的な情報の2つに分けられます。つまり、果物に共通する知識と、バナナにしか当てはまらない知識です。これは何段階にも分けられますので、抽象度合いが高いか低いか、抽象的か具体的かで分けます。

 具体的な知識は経験から導いた推論や結論であり、抽象的な知識は、具体的知識から導いた推論や結論であるということが言えます。知識は経験出来ません。りんごが落ちるのを見ることは経験ですが、次も落ちることを知っているのは知識です。

 知識と経験はこのような違いがあります。知識は経験を土台として成り立っているもので、経験は知識が無くとも成り立ちます。

経験と記憶

 経験は記憶でしょうか。これは正しそうです。しかし、記憶そのものが経験なのでしょうか。記憶から経験が生まれるのではなく、経験から記憶が生まれるものでもありません。経験は具体的事象に立ち会うことで生まれます。記憶は経験の蓄積だと言えるでしょう。もちろん記憶は知識なども含みますから、記憶という大きな枠組みの中に、経験というものがあることになります。

現在の経験

  これまでは、過去の経験について考えてきましたが、では今この瞬間に生成され続ける経験とは何なのか考えてみます。ここで考える経験は、意味付けをされていません。車を見たということは瞬間的な経験ですが、車を見たと認識してしまえばそれは過去のものになるからです。ですので、ここでは現在経験とでも名前をつけておきましょう。

 さて、意味付けをされない、ある意味純粋な経験である現在経験ですが、これの特徴はなんでしょうか。何がこれに分類されるのでしょうか。

 全ての経験はこの現在経験を経てから経験として意味付けされたりすることになります。では、情報が入ってきた瞬間がそれにあたるのではないでしょうか。例えば知覚。視神経を伝って辿り着いたばかりの情報は、現在経験です。同じように外部の情報を取り入れた瞬間は現在経験だと言えます。

 それでは内から出た情報、思考なんかはどうでしょう。思考はそれまでの情報を束ね、ある形をとって我々の意識下に現れます。現れたばかりの思考は、意味付けや認識がされていないものでしょうか。その思考を構成する要素は、意味付けや認識の塊ですが、その集合体となった思考は、現在経験と言えるでしょう。

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