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娯楽について

食べること

 元々生きていくために必要だった、食べると言う行為は、いつのまにか娯楽になりました。ローマ時代には、吐いて戻してまた食べる、ということをしていますし、手っ取り早く脳みそを喜ばせるというところが、食が娯楽になった一因だと思います。

 腹が空いてなくても口が寂しいと言う理由で、何かしらいつも食べているという人も多いでしょう。

 必要以上に物を食べることは、内蔵が休む時間を奪うことになりますし、肥満の原因になるなどあまり良いことはありません。あるのは、満腹感と後悔と、食べる瞬間の短時間の幸福感だけでしょう。

 そう思うと、人生で食事が出来る回数というのは限られているので、何をいつどのように食べるか、ということについてもう少し考えた方がよいと思います。質の良いもの、体にとって良いものを食べる、ということが必要だと思います。たまには毒も食らわねば刺激がありませんから、たまには好きなものも食べても良いと思いますが、それを日常的に食することはよろしくないと思います。所謂健康的な食事をするのも大事ですが、やはり腹八分目で、色々食べる、ということが重要なのではないでしょうか。いくら栄養のバランスが取れているからと言って、サプリメントで済ませるのは味気ないです。

音を聞くこと

 現代において、暇な通勤時間、通学時間を音楽を聴くことにあてている人も多いでしょう。

 元々音楽を聴くということは本能にはありませんでした。現在では音楽産業において量産されていますし、街を歩けば、そして端末を見れば嫌でも耳に入ってきます。食事同様に、音楽を聴く、ということも有限の時間を使っているのですから、もう少し考えた方が良いのではないかと思います。

 音楽は魂の栄養になり得ます。人格や思考という観念の集合といってもいいですが、歌詞、という言葉が付随するような曲は特に、文学と同じようにそれらに強く働きかけます。文学に比べて幾分激しいかもしれません。読書と違い、緩やかに、自分のペースで感じられるものではなく、向こうが決めたペースで思想や言葉が入ってくるのですから、質の悪い曲を聞かされたらたまったものではないと思います。

 ただ、質が悪いかどうか、という判断は非常に難しいです。どれだけ演奏や歌が下手であっても良いものはあります。結局人が作った、ということが大きく起因しているのではないでしょうか。作者という人間の全てがぶつけられたあまりに生々しいもの、それが音楽であると思うので、どんな曲であってもそうした背景が見えることで深みが見えてくるのだと思います。文学などが(ものによりますが)その世界に作者の姿がないということに対し、音楽においては聴者と作者の距離感というのは非常に近くなると思います。

 ではどういう音楽を聞くか、ということについては、自分にとって良い人を選ぶ、ということが言えそうです。

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