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怒りとは
怒っている時の脳味噌
感情は、大きく分けて4つの脳内物質から構成されます。ドーパミン(覚醒と快感)、ノルアドレナリン(覚醒、怒り)、アドレナリン(恐怖、驚き)、セロトニン(上の3つを抑制する)の4つです。怒りを感じるときというのは、主にノルアドレナリン、アドレナリンが分泌されるときです。
悲しみのときと同様に、逃走か闘争、という臨戦態勢になり、冷静な思考ではなくなります。これが脳内で起こっている現象ですが、なぜ人は怒るのでしょうか。この何故は、メカニズムではなく、なんのために、という意味です。
怒る目的
怒りを感じる瞬間というのは、身体的、精神的、社会的に攻撃を受けたときに出ます。つまり、怒りは身を守る手段の一つです。攻撃は最大の防御といいますが、まさに攻撃対象を排除することで身を守ろうとしているわけです。そう考えると、人は攻撃対象を排除するために怒る、ということになります。
身体的脅威
これはまさに命の危険を感じるようなことです。ただ、精神的脅威と共通する部分も多く(社会的なものも同様)、一概に身体においてのみ脅威であるということは少ないでしょうが、怒りというものを分かりやすくするために考えてみましょう。
身体的脅威は瞬間的な怒りであることが殆どです。自分では怒りと気付かないまでも、脳内の状態は怒りに限りなく近づいていることがあります。例えば車に惹かれそうな瞬間、クマに襲われそうな瞬間。考える暇もなく体が動くこともあるでしょう(実際にクマに対峙したときは冷静にこうどうしなければなりませんが)。「怒り」に限りなく近い脳の状態にはなりますが、これは怒りなのでしょうか。その脅威が去った後、つまり轢かれそうだったが助かったとき、クマに襲われかけたが助かったとき、この場合怒りが生じるのは前者です。クマに関しては安心するくらいで、クマを追いかけて殺してやろうなどと思わないと思います。
以上から考えると、身体においてのみ脅威となる事柄に関しては、怒りではないと言えそうです。「敵意」というものがそこには必要で、その敵意は人間にしか向きません。もしかしたら理性の外にいるもの対しては怒りは生じないのかもしれません。理性によって、「仕方がない」と思えるようなことに対しては、怒りは生じないのでしょうか。
精神的脅威
精神的においてのみ脅威であることとは何でしょう。自身の精神を脅かすもの、ストレスを与えるもの、生命活動に支障をきたすと判断されるもの、自身の邪魔をするものなどが考えられるでしょう。基本的に、自分がやりたいこと、やろうとしていることが不当に妨げられたときにこの場合の怒りは発生します。
その邪魔なものを追い払うために怒りという感情を使います。自身の精神を正常に保つために必要なことであると理性、本能が判断をして僕たちを怒らせているのです。
社会的脅威
これは自身の社会的地位を脅かすもの、社会的集団を脅かすものに対する怒りです。この場合も、それを排除するために怒りを使います。
まとめ
以上から考えると、自身または自分が所属する集団にとっての邪魔者を排除するために、怒りを使います。脳は冷静にあなたを怒らせ、敵を排除します。あなたを怒らせるのは実はあなたの脳みそであるのです。
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