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幸福の資本論:橘玲 感想

幸福の資本論 感想

 幸福の資本論、幸福と資本は関係がありそうですが、一体どのような関係があるのでしょうか。そもそも幸福なんてものは相対的なもので、絶対的なものさしはないはずですが著者はどう考えるのでしょうか。

 本を目にしたとき最初はそう思いました。幸福というとやはり精神的なもの、心の持ちようだ、と思っていたので、読み進めるうちに著者の言いたいことが分かってきました。著者も上で述べたことはもちろん分かっているようですが、そこで思考を止めることはせず、さらに踏み込んで考えています。精神世界を離れ、物質世界で実現可能な「幸福」と、そのための「3つのインフラ」を定義しています。

 面白かった点として、リア充の明確な定義を与えた、ということでしょうか。リア充、リアルが充実している、という言葉は、幸福と同じように自己満足の世界の話ですが、そこに客観的に判断出来る材料を持ち込んだあたり流石だと思いました。

リア充について

 いったん「幸福の資本論」を離れて、一般的なイメージでのリア充を考えてみます。明確な定義はありませんが、共通したイメージがあると思います。それは他人が判断出来る、つまり見た目に現れている所で判断が出来ます。服装、髪型、容姿など、「リア充」単体で存在する場合にリア充だと判断できるものはそれしかありませんが、それで十分だと思います。いくらお金を持っていても、容姿が優れていなければ、もしくはお洒落で無ければ、「成金」には慣れても「リア充」にはなれません。容姿が優れお洒落な人で金欠な人を考えてみましょう。余裕もない人はリア充ではありません。金欠であっても余裕が無ければならないのです。

 リア充、という本来の意味はリアルが充実している、と周りから思われていることであって、そこに明確な定義はありません。ただ、そこには容姿や服装、そして人間関係といった要素が入り乱れ、一つの概念を形成しています。本当の意味でのリア充は金も容姿も持っている人でしょうが、一般的な意味で言うと、そこから数ランクダウンしたとしても「リア充」と呼ばれることはあるでしょうが、そこにはある種のアイロニーが混じっているような気もします。

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