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夏の画像を見ると死にたくなるのは


夏に死にたくなる


 この死にたいという言葉は、本当に死にたいという意味ではありません。ただ、あの衝動的感情を表現しようとすると、死にたいとしか言うことが出来ません。

 さて、何故このような感情が起こるのかを考えていましたが、最近一つ思い付きました。それは夏には死が際立つということです。これは、人が死に惹き付けられるという前提条件がありますが、これに関してはまた考えていきます。

死が際立つ

 このブログで良く言っていることですが、対立する概念は実は対立していません。もしくは存在していません。例えば、光と闇。一見対立しているようでしていません。

 光は闇を含み、闇は光を含む。もしくは、光は闇であり、闇は光である。この命題は矛盾しているようで実は成り立っています。完全な闇はなく、完全な光はありません。明るい光、暗い光、というものがあるように、光は闇を含んだものであり、同じように闇は光を含んでいます。

 もし闇を全く含まない光、完全な光が存在したと仮定するとどうでしょうか。光以外の物質が存在している時点でそれはありえません。闇も同様です。

 対立する概念は実は本質的に違うものではなく、表裏一体の関係です。私たちは存在しない完全な光や闇を特異点として仮定することによって、世界を二元的、もしくは一元的に見ています。二元論と一元論は違うものですが、完全性を備えたものを仮定することにおいて共通しているので、こう表現しておきます。

 さて、このように考えると、世界はどちらかに偏ったものではなく、対立する概念が混在しているものだと言えます。光と闇は同時に存在しており、しかもそれは別のものではない、そういうことが出来ると思います。

 以上を踏まえた上で夏について考えていきます。夏は生命活動が最も活発に見える時期です。木々は青々として、生命の存在を否が応でも感じます。だからこそ、同時に存在する死も認識してしまうのだと思います。

 生命の力強さと同時に儚さを感じてしまうのが夏という季節です。何故真逆の概念が目立ってしまうのか。それは統計的に少数のものが目立ってしまう理由と同じでしょう。黒いカラスの群れの中に一羽だけ白いカラスがいれば、人の脳はその特別さを認識します。人間は多いものよりも少ないものに注目するようです。希少性があるものを価値があると思いこんでしまうのと同じことでしょう。

 そうして夏になると人は生命の儚さ、命の短さなど無意識に受け取るのです。ただ、何故そうなることで死にたくなるのかは分からないので、もっと考えます。

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