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狂気を産むもの

 

狂気について

 以前も狂気について考察しました。前回同様、所謂精神病の一種ではなく、広義の意味での狂気をかんがえていきます。

 今回はまとまりも構成もグダグダですが、よろしくお願いします。

狂人は狂気を認知しないのか?

 前提として、狂気とは他者の中にしか生まれません。本人が自分のことを正気だと思っていなければ狂気は生まれません。 自分が狂気染みていることを悟った人間は正気です。自分は正常であると思っていることが必要です。

 もしくは、そもそも正気であるか狂気であるかについて考えない、ということでしょうか。しかし、この場合は正気の人でもありえます。普通の人は自分が正気であるかどうかを考えませんから、自分が正気であるかどうかを考えた時点で正気でない、という風に見ることも出来てしまいます。

 自分自身をどう見ているかだけでは、狂気は完成しないようです。

理解できないということ

 これが最大の要素でしょうか。しかし、これだけでは狂気とは言えません。食人など、狂気じみていても、文化などに起因する場合、感情は追いつかないでしょうが、頭では理解できます。

 相対的に見て狂気、ということは往々にしてありますが、映画の中に描かれる狂人たちは、相対的なものではなく絶対的なものに見えます。

 空想上の存在である、と言ってしまえばそれまでですので、そのような絶対的な狂気が存在すると仮定して思索を進めていきましょう。

迷いがないこと

これも、こういう場合がある、というだけの話になります。迷いなく人を殺せるだとか、我々が理解できず、狂気の沙汰としか思えませんが、逆に迷って迷って人を殺す人間も狂気に駆られているように思えます。

熱量が必要

 狂気に熱量は必要であると思います。ただやらされているだけなど、意志無き行動の末の狂気は本物の狂気なのでしょうか。熱量、やる気とも言い換えられますが、これがないということは、それは人であることを捨てていると言っていいでしょう。自己を捨て去るということは、機械と同じです。

 機械による殺人に狂気は生まれるでしょうか。理解できずとも、人々は深刻なエラーが発生したのだと理解します。無機物に狂気は生まれません。狂気は人間臭さがあって初めて生まれるものであると考えます。

狂気を持つ人

 最近ふと考えたことではありますが、これが今のところ一番答えに近いのではないかと思います。狂気自体の正体は分かりませんが、狂気を生む人に関して少し分かりました。

 前提として、コンフォートゾーンという知識があります。個人にとって一番落ち着くところという意味で、例えば人と話すより一人でいる方がよい、というように場所だけでなくかなり幅広い意味でゾーンという言葉を使っています。

 人前で一発ギャグをすることが出来ない人がいたとしましょう。一方、平気でそれをこなす人間がいます。この差は、コンフォートゾーンが異なることから生じる、というように解釈することが出来ます。食人についてもそうで、その行為に対して当たり前だと思っている人、それはコンフォートゾーンがその文化を含んでいるからです。

 コンフォートゾーン、つまり自分が落ち着く場所、自己認識の範疇といってもいいですが、その外側にはその人にとって落ち着かない場所、パニックゾーンが広がっています。コンフォートゾーン自体は多少のストレッチがあるので、少しずつコンフォートゾーンをずらしたり、広げたりすることが出来ますが、完全にパニックゾーンに入ってしまうと、心身に異常を来すなど、様々な障害が発生します。

 さて、それでは狂気を生む人はどんなひとでしょうか?

 僕は、所謂パニックゾーンに入ってしまっても、正気を保てる人間だと思います。僕が考える狂気とは、完全なる正気である、ということになりそうです。

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