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何が楽しくて生きてるのか

生きる意味はない

 生きているということに意味はありません。ただ生きているという現実があるだけです。「生きている」「生きる」という言葉にも意味はありません。あくまでも言葉は言葉であって、現実ではありません。

 自分なりの意義を見出だせば良いのでしょうか?

 それすら意味はありません。自身の人生に意味を与える意味がありませんし、もしそれが出来るとしたら死ぬ間際ではないでしょうか。

 「あの時会社を辞めたことは」に続く言葉は「最悪の決断だった」でしょうか?「現在に必要なことだった」でしょうか?どちらもある過去の出来事を現在を基準として判断しているだけです。意味はありません。

 生きている意味はないのだから、死ぬまでに出来るだけ楽しんでおこう、という考えもありでしょうが、個人的には違うように思います。

 しかしながら、あえて今回は楽しむということを考えていきたいと思います。

楽しいこととは

 個人的には、人生を三大欲求に費やすのはもったいないと思っています。人として生きる以上、動物には出来ないことをしておきたいと思います。

 楽しいことというのは、脳が喜んだり、脳がリラックスしたりすることだと思いますが、現在においては、少しばかり激しいものが多いように思います。

 食に例えると分かりやすいかもしれませんが、質の良い料理を腹八分目食べることと、化学調味料の入った料理を限界まで食べること、どちらが良いでしょうか。後者では、ブクブクと太りだし、食べる量もそれに伴って増えていきます。

 このような刺激の強い娯楽が多すぎると僕は思います。スマホ、ゲーム、テレビ、動画サイト、それらがあまりにも手軽に手に入るせいで、楽しいこと肥満が増えているように思います。

 別角度から見てみましょう。

 会社へ行き、働き、帰って来てゲームして寝る。せっかくの休日は飲食で終わる。別にゲームそのものを否定するわけではありませんが、脳が喜ぶ要素が多いことは事実です。

 私がお勧めするのは、芸術性の高いものなど、ある程度舌が肥えていないと分からないものです。

 人生に激しい喜びはスパイス程度にあればよく、じんわりとした柔らかな喜びで生活を満たす方が良いと思います。


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