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意識と無意識の併合

意識と無意識

 意識と無意識という言葉を聞くことがあります。自分が認識できない意識を、無意識というのでしょうか。良く氷山に例えられます。海上に出ている部分を意識、水面下の部分を無意識。無意識の領域は広く、意識は全体のうち僅かな部分しか占めていないそうです。

 しかし、無意識にあるものは常に無意識にあるのではなく、時に意識の元に現れます。特に、五感などの外部の情報、記憶などの内部の情報は、意識と無意識を行き来しているように思います。

 例えば、音。聞いていないようで聞いています。話を聞いていなくても、自分の名前が出てくると反応してしまいます。無意識、つまり意識を向けていない部分に、意識が向いたわけです。

 音から音へ意識が移ることもあれば、音から光へ意識が移ることもあります。また、考え事をしている状態、つまり内部情報の反芻や最適化などの状態から、音へと意識が向くこともあります。逆もそうです。内部から内部へももちろんあります。

意識とは

 あくまでも個人的な見解にはなりますが(一応心理学において似た考えがあったと思いますが)、意識とはモニター機能であって、それ以上でも以下でもないように思います。

 入ってくる情報を写し出すモニターで、モニター以外の領域が、その情報を取捨選択し、振り分け、判断を下しています。

 例えば、目の前にケーキを出されたとき、モニターにはケーキが写されるだけで、意識そのものは食べたいなどとは思いません。脳の別の領域が食べたいという信号を出し、その信号がモニターに写されます。モニター上には「ケーキ食べたい」が表示されています。脳は「食べるべきか」を考えますが、その考えている情報がモニターに引っ掛かります。モニターには、「食べようかな」などが表示されるでしょう。

 我々が意識だと思っているものは、無意識が処理してくれた結果を写すだけのもので、それ自体に判断能力はないのではないでしょうか。

 コックピットを思い浮かべたら分かりやすいかもしれません。外部の情報、内部の情報が入ってきて、操縦者、つまり脳味噌全体がそれを判断し操作します。

 我々の本質は無意識であり、意識に振り回される必要はありません。意識的に考えていること、つまり「今日は何を食べようかなぁ」というものは、本質ではありません。無意識の声を聞くことが大切ではないでしょうか。

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