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抽象化と具体化

はじめに

 「人生は登山に似ている」、「会話はキャッチボールだ」など、何かを何かで例える、ということを私たちは日常的に行います。「人生」と「登山」の構造が似ている、というところに着目して、抽象度の高い共通点を見出だしています。

 他にも私たちは「人の流れ」「時間の流れ」など、目に見えて存在するとは言い難いものを、目に見えるものに対する言葉で表現します。「流暢に」などもそうです。

 こうしたことから、人は意外と感覚派というか、高い次元を低い次元と同等に扱い、言うなれば抽象度の高いことに対してリアリティを感じていることが分かります。

抽象化

 人間の脳は帰納的と言えばいいのでしょうか、様々な具体例を見ていく中でそれを抽象化していきます。

 有名な例で言えば、「Aは死んだ」、「Bは死んだ」、「Cは死んだ」という事実から「人間は死ぬ」という事実を導きだす、というものです。

 A、B、Cが死んだ、という事実から、人間という大きな括りに到達出来るのが、私たちの抽象化能力です。

 要領の良い人や、ある程度何かをやりこんでいる人などに言えることですが、共通点を見出だすのが上手ということがあります。登山と人生、スポーツとコミュニケーション、武術と生き方……。抽象化の仕方によっては、全く違う組み合わせになることもあります。

具体化

 抽象化の逆の概念ですが、具体化も私たちの重要な能力の一つです。スポーツでの失敗の経験をビジネスに活かすなど、抽象化された知識を応用する際に、具体化が起こります。

 結果的に具体化が起こることもあれば、意識的に具体化することもあります。

まとめ

 人は具体例から抽象化した知識を抽出しますが、不思議なことに初めから抽象化されたものに関しては理解しづらい、ということが起こります。

 数学などがその典型です。何を言っているか分からないという人も多かったのではないでしょうか。数学において最も大事なことは具体例である、というようなことを、とある大学の教授が言っておりましたが、実際その通りで、抽象的な概念を理解する際には、具体例に一度落とし込むことで理解しやすくなります。

 「結論を先に話せ」というのも同じことで、抽象化されたゴールを先に述べておき、具体例を添えることで、相手の理解を促します。

 「結論を先に話せ」ということは、何かを学ぶ、教える上では非常に便利ですが、抽象化の方向を固定するという危険な面も持ち合わせています。

 実際に成功する人などは、具体例の中から自力で抽象化した知識を得ます。新しい発見をする人などは、抽象化するという作業を人に委託せずに自分で行い、そういう力を持っています。

 読書などにも言えますが、抽象化だけでなく、思索なども他人に代行させることは、自分の力を衰えさせることではないでしょうか。

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