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超ざっくり哲学史「ヘレニズム」
ヘレニズム
ヘレニズムとは、古代オリエント文化とギリシア文化が合わさった「ギリシア風文化」、または、紀元前300年頃からキリスト誕生までの300年までの時代を指します。この時代、様々な文化が混ざりあったことで、それぞれの宗教、神話、哲学なども混ざり合うことになりました。
この頃の哲学というのは、それまでの哲学を掘り下げたようなもので、全く新しい考えというのはほとんどありませんでした。ソクラテス等が考えたように、いかに生きいかに死ぬべきかについて、考えられていました。
この頃の哲学というのは、それまでの哲学を掘り下げたようなもので、全く新しい考えというのはほとんどありませんでした。ソクラテス等が考えたように、いかに生きいかに死ぬべきかについて、考えられていました。
キュニコス学派
紀元前400年頃にアテナイで、ソクラテスの弟子であるアンティステネスが始めた「キュニコス学派」は、幸福とは、贅沢や権力や健康などとは関係がないと考えました。禁欲的な面があり、高貴なものは必要ないとしたアンティステネスの元には貧しいものたちが集まり、皆みすぼらしい布と杖と袋だけを身に着けていたといいます。
しかし、あまりにも見せびらかすように貧しい恰好をしていたためか、ソクラテスに非難されることもあったそうです。
ストア派
キュニコス学派の哲学は、ストア派の哲学に大きな影響を与えます。創始者はゼノンという人物ですが、ストア派も、個人の幸福を追及することを目指しました。これは、対人関係などにも適用され、自己の破壊的な感情を抑制するための忍耐や自制心を身に着けることを説きました。また、奴隷のような身分が違うような人に対しても、「同じように自然の産物」なのだから同じ人間であるという平等な考えを持っていました。尺度の規準が世界規模であることを考えると、現在よりも世界意識が強い思想だったのかもしれません。
それまでの哲学では、身体と魂など、物事を分けて考えていたのに対し、ストア派においては、1元論が信じられていました。つまり、もともと別のものではなく、一つの「自然」があるのだ、という考えです。
キュニコス学派の考えを受け継ぎ、彼らもまた、外面的な贅沢などの物事は幸せには関係がないと考えました。これは、彼らが幸福の源泉として理性というものを重んじたことに由来するのだと思います。
エピクロス学派
ここに関しては諸説あるので、名前等が間違っている可能性があるので、そこを踏まえて読んでいただけるとありがたいです。
上の二つの考えとは真逆で、感覚的な快楽、幸福を追求しようとしたのがこのキュレネ派です。エピクロス学派について説明する上で比較しやすいので、これについても説明しておきます。祖はソクラテスの弟子のアリスティッポスという人物で、短絡的な幸福を求めました。肉体的な満足を求めることが至上であると考えていたわけです。
それに対して、エピクロスが開いたエピクロス学派は、短期的な幸福よりも長期的な幸福を求めようと考えました。つまり、今散々飲み食いしろということではなく、そうしたことを我慢して、もっと大きな目標を達成したり(ダイエットや貯金)して、より長い幸福を手に入れようと説きました。
どちらも「快楽」というのは避けるようなものではないと考えていますが、別のものです。しかし、後にエピクロス学派は簡単に手に入れらる快楽に耽ることになります。もしくは、キュレネ派と同じものとして見られたのか、エピキュリアンという言葉が「快楽主義者」という形で残っています。
新プラトン派
ヘレニズム時代の哲学の中でも、プラトンのイデア論に影響されていたのが、この新プラトン派です。プロティノスという人物により始まりました。プラトンは感覚界とイデア界とを分けましたが、プロティノスは、その二元性を超越しようと考えました。
彼は「一者」という概念を考えだします。長い通路の先に、「一者」と呼ばれる光が存在するとしましょう。その光は通路に影を作り、また影を追い払います。ここで影は物質のことです。影に濃淡があるように、物質、魂にも高いもの、低いものがあると考えました。
彼は世界をはっきり二つに分けるのではなく、連続的につながった一つのものであるとしました。彼の思想は、「一者」を神として解釈され、キリスト教神学に取り入れられました。
彼は「一者」という概念を考えだします。長い通路の先に、「一者」と呼ばれる光が存在するとしましょう。その光は通路に影を作り、また影を追い払います。ここで影は物質のことです。影に濃淡があるように、物質、魂にも高いもの、低いものがあると考えました。
彼は世界をはっきり二つに分けるのではなく、連続的につながった一つのものであるとしました。彼の思想は、「一者」を神として解釈され、キリスト教神学に取り入れられました。
神秘主義
神秘主義の主な目的は、絶対者と一つになることでした。自己を脱し、「より大きな自己」を認識する、より大きなものの一部になることを経験することを根本的な思想としています。
そのために、例えば瞑想などの手段を用いました。旧約聖書に登場する「神」も、同じように神秘主義者が「出会った」のかもしれません。
まとめ
この時代は、以前の流れを汲みながらも、少しずつ枝分かれしていきました。相互に関係しながらも、差異があり、後の文化に大きく影響を与える思想もありました。
「キリスト・中世」
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