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超ざっくり哲学史「キリスト・中世」
イスラエル
旧約聖書では、神が世界を作り、そして同じように作られた人間たちが、神を裏切ったことで死ぬことが起こり、羞恥心が起こるようになったとされています。基本的に旧約聖書では、人類は神様のいうことを聞かないので、ノアの箱舟のような神の罰が描かれます。そんな中、神と契約を交わした一族、つまりアブラハムの一族がいます。
紀元前1000年頃、イスラエルに3人の王、サウル、ダヴィデ、ソロモンが現れます。この頃、この王国は最盛期を迎えます。しかし、それから500年ほどの間にイスラエルは力を失い、様々な国に征服されるようになり、最終的にユダヤの民たちはローマに支配されることになります。
この少し前から、預言者と呼ばれる人が現れるようになります。彼らは、「このような現状は神の掟を守らなかったからだ」と主張しましたが、一部の預言者たちが「神が一部の人々を救い、ダヴィデの末裔の平和の王を遣わす」と言い出しました。
イエス・キリスト
ソフィーの世界の中では、実際にキリストが預言者であったか、神の子であったかについてではなく、キリストの思想ということに重点を置いて話しているため、僕もそれを採用しています。
突如現れたイエスは、過去の預言と自分を結びつけて、人々に教えを説いて回ります。新約聖書にありますが、イエスは「あなたの罪は赦された」と、本来神にしか許されていないようなことを口にします。この出来事をはじめとする数々のことが、聖書学者などを怒らせることになります。
イエスは神の国とは隣人への愛だと説きました。新約聖書にありますが、あなたが借金の返済を待ってもらったならば、あなたがお金を貸している人から「待ってくれ」と言われた時は待たなければいけない、とイエスはいいます。それまでの神話的世界を、現実に落とし込み、それを抽象的に表現したものだとしたのです。
イエスは、遊女や税理人などとも分け隔てなく接し、それは何も恥ずかしいことではないと言いました。イエスは、どんな人であっても、他者を赦し悔い改めた人であれば、赦されると説いたのでした。
それまでは、神とアブラハムの契約であったものを、キリストと神の、全人類に対する契約として拡張したものになっています。このあたりが、それまでのユダヤ教の一部だったキリスト教との大きな分岐点になりました。
それまでは、神とアブラハムの契約であったものを、キリストと神の、全人類に対する契約として拡張したものになっています。このあたりが、それまでのユダヤ教の一部だったキリスト教との大きな分岐点になりました。
中世
中世は西暦400年頃から西暦1400年頃までの1000年の間を指します。この間に、学校制度が出来るなどある程度文化的な発達は見られたものの、「ルネサンス期」まで思想的に目新しいものはほぼ登場しませんでした。
キリスト教は、長い年月をかけて少しずつ広まりました。西暦400年頃の哲学者アウグスティヌスは、キリスト教徒でもありました。彼はプラトンの思想とキリスト教を結び付けて考えます。プラトンの考えだした「イデア」という概念と、キリスト教の掲げる「神」という概念の相性がとてもよかったため、彼は永遠のイデアを神のものであると考えました。新プラトン学派の考えも受け継いでいたため、発想的に新しいものではありませんでしたが、それまでの歴史と哲学を結び付けるという功績を残します。
そして西暦1200年頃、トマス・アクィナスが現れます。アウグスティヌスと同じようにキリスト教であったトマスは、これまた同じように過去の哲学者をキリスト教に結びつけます。アリストテレスは、神の存在を前提にしていましたが、それ以上言及することはありませんでした。トマスはその延長としてキリスト教を紐づけます。
まとめ
キリストの出現によって、世界は大きく変わることとなります。1000年もの長い間、新しい概念が出現しなかったという中世にも、その影響がみられます。哲学史だけでは不十分なところがあるので、今後は歴史も調べていきます。
「ルネサンス」
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