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ソフィーの世界:ヨースタイン・ゴルデル 「神話、ミレトスの学者」
ソフィーの世界とは
ソフィーの世界は、西洋哲学、そして西洋哲学史について学べる、ファンタジー小説、といったところでしょうか。それぞれの時代の思想は哲学抜きには語れないと思うのですが、哲学史には疎かったので、この本はちょうどよい入門書になりました。
主人公ソフィーが哲学者とともに、哲学について学んでいく、というものですが、読み進めていくうちにある真相が判明します。
物語の内容については触れませんが、哲学史、これについて考えたいと思います。
哲学では、人間の存在や、真理といったものを考えぬいていきます。一部を抜粋したものですが「人生の根本原理を追及する」、と広辞苑には載っています。以下は、ネットで調べた情報を含むので、場合によっては間違いがあるかもしれません。
哲学では、人間の存在や、真理といったものを考えぬいていきます。一部を抜粋したものですが「人生の根本原理を追及する」、と広辞苑には載っています。以下は、ネットで調べた情報を含むので、場合によっては間違いがあるかもしれません。
神話
紀元前600年ごろにギリシャに哲学者と呼ばれる人々が現れるまで、世界の現象は神話によって説明されていました。人が生まれたのも、世界が生まれたのも、自然現象さえも、神話によって説明していました。
原因を考えても分からなかった、というのが正しいかもしれません。雨が何故降るかを、僕たちは知っています。しかし当時の人々は雲が関係することは分かっていたかもしれませんが、空から水が降ってくるということが分からなかったのではないでしょうか。空に水が浮かぶなんて考えられないじゃないですか。
人智を超えた力が働いていないとそんな現象はあり得ないと思ったとしてもおかしくはありません。日本神話でも世界は神々が作ったとしています。
その当時の理性では及ばぬ領域を、神話として表していたのだと思います。哲学者たちが誕生する前のギリシャにもそういった神話がありました。ゼウス、アテナ、ヘラ、ヘラクレス、名前はどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
紀元前700年ごろになりますが、ギリシャ人のホメロスとヘシオドスは、ギリシャ神話を文字に書き起こします。客観的に見られるようになった神話に対して、ギリシャ人の一部が、疑いの目を向け始めました。もう少し以前から神を疑うような、哲学者の素質を持つ人もいましたが、この時を西洋哲学史のはじめと考えてもよいように思います。
厳密に言えば、ソクラテス以前には哲学という言葉が無かったため、この時期は実際には哲学史に含まれないのかもしれません。ただ、ソクラテスが誕生する要因となった環境を語る上で外せないので、このあたりから話をしていきます。
このころの哲学者たちは、「すべてのものはどこから来るのか」、「何から作られるのか」、という原因の究明にあたっていました。土が木を、そして果実を生む理由を、彼らは探し求めたわけです。
このころ考えられていたことは、神話に頼っていた頃と比べると幾分科学的になりました。自然から神を締め出して考え始めたことは、哲学にとって大きな一歩でした。
というわけで、この時期に活躍した哲学者を3人紹介しましょう。この3人は、ギリシャの植民地、ミレトスに住んでいたとされています。
タレス
記録に残る最も古い哲学者、哲学史に最初に名前が載った人物、タレス。彼は紀元前600年前後の人物で、天文学に秀で、また影を使ってエジプトのピラミッドを測量したという逸話も残っていますから、数学に関しても詳しかったようです。
彼の残した数学の定理は、タレスの定理として、今も中学の教科書に載っています。タレスの定理とは、「直径に対する円周角は直角です」という定理です。
例えば、円を一つ書き、直径も書き込みます。ちょうど円の真ん中に一本線が通った形になります。直径の端の2点から、円周上の一点で交わるように線を引くと、そこに現れる角の大きさは90度になる、というものです。タレスは、これを二つの二等辺三角形によって証明した、ということで、タレスの定理という名前が付いているそうです。
例えば、円を一つ書き、直径も書き込みます。ちょうど円の真ん中に一本線が通った形になります。直径の端の2点から、円周上の一点で交わるように線を引くと、そこに現れる角の大きさは90度になる、というものです。タレスは、これを二つの二等辺三角形によって証明した、ということで、タレスの定理という名前が付いているそうです。
そんな数字に強かったタレスですが、彼の思想は全てのものは水から出来、水へと還っていくいく、というものでした。確かに有機物には水が含まれていますし、水、という発想に行きつくのも分かります。
アナクシマンドロス
アナクシマンドロスも、タレスと同じように、万物は何かから生まれ、何かへ還っていくと考えました。彼はそれを「無限なるもの」(アペイロン)と名付けました。これは、無際限無限定な量という風に考えていました。
これは僕たちの住む世界の物質を永遠に作り続けており、全てのものはそこから生まれ、そこへ還ると考えていました。この考えが正しい正しくないかは置いておいて、少しここから派生して考えてみましょう。
何かが存在する前の時間は無限のように長いです。例えば僕が生まれる前には、少なくとも100億年の時間が流れているはずですし、(宇宙開始以前の時間が存在すると仮定すると無限)僕が死んだ後の時間を考えても悠久の時が続いていきます。
時間に関して言えば、僕は無限から生まれ、無限に還っていくのでしょう。
もしくは可能性と考えてみたらどうでしょう。無限の可能性を秘めている何か、それは物質かもしれませんし、エネルギーかもしれませせん。(もしかしたら空間かも)それらは僕という形をとって、また無限の可能性を持つ何かに還っていきます。
もしくは可能性と考えてみたらどうでしょう。無限の可能性を秘めている何か、それは物質かもしれませんし、エネルギーかもしれませせん。(もしかしたら空間かも)それらは僕という形をとって、また無限の可能性を持つ何かに還っていきます。
僕たちは無限から何かを借りているだけ、というように考えることも出来そうです。
アナクシメネス
3人目のアナクシメネスは、先のアナクシマンドロスの弟子です。彼は万物の根源(アルケー)は空気であると考えました。
空気は薄めると火になり、濃くすると水になり、さらに濃くすると氷になる。最終的には土になる。そういうように考えていました。
アナクシメネスは、タレスと同じように、観察によって、世界の心理を暴こうとしました。ただ、タレスにも共通することではありますが、二人とも万物が一つのものから成り立っているということに固執しています。
アナクシメネスは、タレスと同じように、観察によって、世界の心理を暴こうとしました。ただ、タレスにも共通することではありますが、二人とも万物が一つのものから成り立っているということに固執しています。
まとめ
紹介した3人は、万物はどこからきてどこへ行くかを考えました。タレス、アナクシメネスは、それを物質に求めました。彼らは、現象の観察と考察によってそこに行きついたのだと思います。
それに対してアナクシマンドロスは非常に抽象的な思考をする人でした。時間や物質を超越したともいえる考えであり、神話に近いものを感じます。しかし、彼はそこに神を見出しませんでした。
「無と有、万物は流転する」
それに対してアナクシマンドロスは非常に抽象的な思考をする人でした。時間や物質を超越したともいえる考えであり、神話に近いものを感じます。しかし、彼はそこに神を見出しませんでした。
「無と有、万物は流転する」
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